今や芸能界で司会業などで引っ張りダコの、有吉弘行(ありよし ひろいき)さん。
そんな順風満帆に見える有吉さんですが、人気絶頂からの低迷は有名なハナシですよね。
一時は引きこもり生活も経験しています。
そんなどん底の生活を支えたのが、お笑い芸人の上島竜兵(うえしま りゅうへい)さん。
なぜ上島さんは有吉さんを支えたのか?気になります。
この記事では、上島さんはなぜ売れなかった有吉さんを支えたのか?
という内容で書いていきます!
もくじ
有吉弘行のどん底生活は精神的に地獄
まず、有吉弘行さんの栄光と、どん底について書いていきます!
1996年、有吉さんが20歳の頃、猿岩石というコンビ名で『進め!電波少年』に出演して世間の話題となりました。
当時、最高月収は2000万円を超えたと言われています!

しかし、その後は人気に陰りが見え、仕事は激減。
有吉さんは人気絶頂からの落ちぶれ様に、人から見下されることを経験します。
それが怖くなり、自宅に引きこもることも多々あったそうです。
- 恥ずかしくてバイトができない
- ホームレスとして再浮上することを選ぶ
猿岩石は国民的アイドルになってしまったので、そこから急降下してしまいました。
気持ちが腐ってしまい、バイトしながら芸人として這い上がる!
みたいな気持ちにはならなかったんではないでしょうか…。
有吉さんの『どん底』というのは生活云々というより、精神的に病んでいたというわけです。
一時は、自殺も考えていたようですね・・・。
”恩人”上島竜兵が有吉弘行を支えた理由は?
有吉弘行さんの低迷期を支えたのが、ダチョウ俱楽部だった。というのは有名なハナシですよね!
特にメンバーの上島竜平さんには可愛いがってもらったようで、よくご飯をごちそうになっていたようです。
なぜ、上島さんは有吉さんを支えたのでしょうか?
①上島竜平は寂しがり屋だった
有吉さんは猿岩石を解散後、ピン芸人を始めました。
『竜さんや出川さんみたいになりたい!』
と、リアクション芸人を目指していた時期もあったようです。
一方でなかなか芽が出ず、経済的にも困窮していましたが、同じ事務所の先輩にあたる上島さんは
『月30万やるから、仕事せずにいつも俺のそばにいてくれ』
と、有吉さんを必要としていたようですね。
毒舌な発言がウケている有吉さん。
上島さんには大先輩で尊敬する側面もありながら、日頃から上島さんをイジッて周りの笑いを取っていたのではないでしょうか。
上島さんは、そうやって自分と接してくれる人を大事に思っていたのでは?と思います。

上島さんと親交のあるガダルカナル・タカさんは、上島さんについて『本当に寂しがり屋なタイプだった』と語っています。
とにかく人と接していて、上島竜兵がここにいるんだよっていうのをみんなに分かってもらわないと不安なタイプだった。とにかく飲みに行くのが好きでした
引用:サンスポ
『竜平会』と銘打って、有吉さんはじめ後輩芸人15人以上で明け方まで飲み会をしていた日々。
その後輩芸人たちが売れ、コロナが皮肉にも後押しとなり、飲み会は激減したようです。
楽しかった時間が戻ってこないと実感し、上島さんはとてつもなく寂しくなっていたのかもしれません。
②自分と重なって見えた
上島竜平さんは、明るく面倒見のいい人柄というウワサですが、大物たちに気に入られるようにスッっと懐に入る謙虚さや愛らしさも持ち合わせていたようです。
上島さんは、片岡鶴太郎さん、ビートたけしさん、志村けんさんという芸能界の大物に可愛がってもらったようです。
有吉さんもブレイク後に突如売れなくなった際も、上島さんは
「絶対に腐るなよ」と引きこもりがちだった有吉さんを家から引っ張り出していた。
というエピソードもあります。
こんな先輩、我々の生活でもなかなかいないですよね。
命を投げ出す覚悟だった有吉さんを救った上島さんは、まさに『命の恩人』ではないでしょうか。

有吉さんが売れなかった時期にコスプレをする仕事が舞い降りた時も、周りの芸人たちは馬鹿にしていても
上島さんだけは、泣いて喜んでくれた
というエピソードもありました。
上島さんは有吉さんの芸人としての才能を認めており、後輩の活躍を本当に喜んでいたのでしょうね。
本当に心の優しい人です。
上島さんはリアクション芸で体当たりで臨む有吉さんの姿や、かつて大物たちに可愛がってもらったことについて、自分と重なって見えたのかもしれません。
まとめ
上島竜平さんが、なぜ売れなかった後輩芸人の有吉弘行さんを支えたのか?について見てきました。
寂しがり屋だった上島さんを、なかなか芽が出なかった有吉さんは敬意を表しながらもイジり、上島さんの心を満たしていたのかもしれませんね。
2022年5月11日、上島竜平さんがお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。